「くっそ……何で俺がこんな目に……」 室宮光輝は数個のペンキ缶を両手に持ち、街中を歩いていた。 六月の湿気と汗で制服がやけに張り付くのを不快に感じながら、ため息をつく。 「あっつ……」 数日前まで毎日長雨続きだった代わりに、これからしばらくはつかの間の晴天が続くでしょう、とにこやかに伝えていた今朝の天気予報を思い返す。 そんな空を恨めしげに見上げ、それから手にしたペンキ缶を見下ろした。 一つ一つがそれなりの重さを持ちながら、各色を豊かに取り揃えた缶の数々。 一人で持ち運ぶには明らかに荷重オーバーなその荷物を近くの地面に置くと、片手で汗をぬぐった。 「ったく……重い上にめっちゃ高いし……」 今日のこの買い物は、彼が所属している便利屋の上司に言い渡されたものではなかった。 だがそれは、駅近くのホームセンター帰りの光輝にとっては決して嬉しくも何ともない状況だった。 「戻るまでもうちっとかかるかなぁ……」 諦めてそう吐き出し、重い荷物を再度近くのベンチに置いた。 普段ならば駅とは逆方向の学校までは大した事のない距離だったが、今日に限ってはそれがやけに遠く感じられる。 「……あー、あの時じゃんけんでグーを出さなければなぁ……。なんで最後まで負け続けたんだろ俺……」 そんな彼の視線の先では、昼間だというのに同じ制服を着た生徒たちの姿がやけに目立った。 各々がいくつもの段ボールやら木材やらを手に抱え、集まった順から学校の方向へと戻っていく。 そう、もうじき文化祭だ。 室宮葵と津堂悠は、資材集めに勤しんでいた。 それぞれのクラスで二人が担当する事になったのは奇しくも同じ、商店街を回って不要な段ボール箱を譲り受けるという仕事だった。 「段ボールをいっぱい集めた者が文化祭に勝つ! これは戦争なのよ!」 「そう」 「だからいっぱい集めて、この戦争の勝者になる! うちのクラスの出し物が強靭無敵最強だって証明してやるの!」 そう叫び、人差し指を天へと向けて歩道のど真ん中で仁王立ちになった葵を周囲の通行人が奇異の視線で眺めては通り過ぎていくが、とうの本人に気にする様子はなかった。 『……クラスの出し物、そんなに暴力的だったか……?』 葵の後ろでふよふよと浮遊する半透明な幽霊が首を傾げるが、その声が聞こえているはずの少女二人はどちらも反応しなかった。 「というわけで、勝利に突き進むの! 文化祭後も上級性だってうちのE組にひれ伏すようにしてやるんだから!」 「頑張って」 大して興味なさげに吐き出した悠は、近くの果物屋に入っていく。 「あ、ちょっと! そこはあたしも目を付けてたんだから! 待ちなさいよ! ねえってば!」 その後を追いかけようとする葵だったが、ふと彼女の目にあるものが留まった。 それはとある自転車の荷台に括りつけられた、十数枚はある段ボールの山。 「あ、ラッキー。もらっちゃおーっと」 『お、おい、それ誰かのものじゃないのか……?』 ふとそこへ、数枚の段ボールを手にした悠が戻ってきた。 「一足遅かったわね。これはあたしが先に見つけたんだから。一枚も渡さないわよ」 「別にいいけど、それって……」 「いいのいいの。どうせ捨てようとしてたところに決まってるわ。無料で引き取ってあげるんだから、感謝してほしいくらい」 そう言って無理やり段ボールを引きはがしにかかった葵の背後に、立ちはだかる姿があった。 津堂白斗は、校内を夢遊病患者のようにさまよっていた。 先ほどのクラス内の会話で、出し物で使う段ボールを集めてこい、ノルマを集めるまで決して帰ってくるな、というブラック企業式の指示が下された気がする。 そして彼はそれをいい事に、どこかでさぼろうと固く誓った。 長雨が続くこの季節は、便利屋の上司が稼ぎ時だとかいつになく儲かるだとかいつやるの今でしょだとか騒ぎ、普段の倍は草むしりの業務が舞い込んできていた。 そのせいで身体のあちこちが痛く、真面目に資材探しなどやってられなかった。 資材の件は帰り際に便利屋に向かい、上司から譲り受けられればいいなと思った彼は、まずは安眠の地を探そうと一歩を踏み出した。 と。 「見つけたぞ、津堂」 ふとそんな声が聞こえて彼がゆっくりと振り返ると、そこには白衣を着た女教師が仁王立ちになっていた。 記憶が正しければ、確か化学担当の教師であるはずだった。 「それで、五月分のレポートはいつ出すのかね?」 「……」 そう言えば、数日前にも似たような事を言われた気がする。 「ちなみに今学期中に出さないと、こちらも評価が付けられないものでな。要するに留年だ」 「……では夏休みに入る前に出します」 欠伸をしながらあまり回らぬ頭を振り絞って出した結論は、相手のお気に召さないようだった。 「……ほう。あれから一か月は経っているのに、まだ出せないと」 その時、校内放送が辺りに響き渡った。 『瓜宮(うりみや)先生、いらっしゃいましたら至急職員室までお願いします』 「……仕方ない。今回は見逃すが、次会う時までには回答を用意しておけ」 面倒そうに頭を掻きながらそう言い、相手は去っていった。 「……」 やる気が起きないのだから仕方ない、最悪悠に土下座して代わりにやってもらおう、苗字が同じなのだからセーフだろう、などと考えていた彼は、そのまま校舎を後にした。 「おい、待てよ」 そう声をかけられて葵と悠が振り向くと、見慣れない制服の男子生徒が立っていた。 着崩した制服に、金属製のアクセサリーがいくつもぶら下がっている。 辺りにどこか、タバコの匂いが漂った。 「それ俺の自転車だぜ? どうするつもりだよ?」 『……。この制服は確か……駅の反対側の高校の奴だな。ガラが悪い事で有名なところだ』 クレアが眉を潜めてつぶやくが、それを意に介さず葵は口を開いた。 「自転車はどうでもいいのよ。この段ボールが欲しいんだけど、譲ってくれない? 文化祭で必要なの」 「嫌だね。こっちでも使うんでね。……と、思ったが」 ふと、二人を舐め回すように見る相手。 その視線が、悠を捉えた。 「いいねぇ、気に入ったぜ」 「……あっ」 言うなり、唐突に悠を引っ張って引き寄せた。 「この後ヒマだろ? 来いよ。後悔はさせねぇぜ?」 「……離して」 逃れようとする悠の腰に片手を回して、より一層抱き寄せる。 「終わったら段ボールなんざくれてやるよ。どうだ?」 「嫌がってるじゃないのよ! 放しなさいよ!」 「お前は邪魔だ。すっこんでろ」 舌打ちするように葵へと吐き捨てた相手は、悠へと顔を寄せた。 「俺は仲間内じゃ『ハイエナ』って呼ばれててな。欲しいものはどうやっても手に入れるつもりだぜ?」 「……」 「せっかく俺が誘ってやってるんだぜ? もっと嬉しそうにしろって」 「やめなさいって! ギッタンギッタンにするわよ!」 『……』 そろそろ自身が出るべきかとクレアが葵に声をかけようとしたその時、唐突に相手が悠を解放した。 「……ま、たまには小うるさいのもいいな」 そう言った相手の視線は、今度は葵を捉えていた。 「気が変わった。二人まとめて相手してやるよ。ついてきな」 駅の繁華街の方に片手の親指を向け、もう片方の手で葵を手招きする。 「ですって。悠はあたしが合図したらアイツに飛びかかって」 『そういう意味じゃないと思うぞ……』 「何ゴチャゴチャ言ってやがる。いいから来いよ」 葵に強引に顔を近づけ、悠にしたように引き寄せた。 「いいか、これでも俺はお前の度胸を買ったんだぜ? 俺に歯向かう度胸――ほげふっ!?」 「どこ触ってんのよ! っていうか耳元でしゃべらないでよ、うるっさいわね!!」 不良生徒の顎目がけてジャンプ頭突きをかました葵が、相手よりもうるさい声量で叫んだ。 「こ、このっ……」 打ち所が悪かったのか、鼻血を出した相手が拳を握りしめて立ち上がる。 まだ続くのか、と心の中でため息をついたクレアは、今度はそれを実際に吐き出した。 『……葵、代われ』 『チワワ』との異名――確か葵の記憶によると――を持っていた不良生徒は、痛いよママー、などと泣きながらどこかへと走り去っていったが、既に興味を失った葵は制服の埃を払っている悠に駆け寄った。 「大丈夫!? 怪我とかしてない?」 「別に」 心底興味なさげに小さくつぶやいた彼女は、ふと思い出したように背後に視線を向けた。 「……そういえば、これ……」 そこにあったのは先ほどの相手が残していった、自転車に括りつけられた十数枚の段ボール。 「あ、そうだった。慰謝料としてもらっちゃってもいいわよね」 それから葵は鼻歌交じりに段ボールを引きはがそうとして――思ったよりも固く結び付けられていたので面倒になり――自転車ごともらっていく事にした。 「……私、ひとまず学校に戻る」 何故か鍵のかかっていなかった自転車に葵がまたがると、背後で悠が吐き出した。 「え、もう?」 「これ以上あっても持ちきれないし、そろそろペンキの買い出しに行ってた光輝が戻ってくる頃だと思うから」 そう言うなり手にしていた数枚の段ボールを抱え直し、クルリと背を向けた。 「ふーん。無欲ねぇ。ま、あたしはもう少し探してくわ。文化祭の覇者にならなくちゃいけないんですもの」 空へと片手拳を突き上げて「やー」と叫んだ葵は、その勢いのまま自転車のベルをかき鳴らした。 駅などの騒々しいエリアから離れた公園――自身にとってはお気に入りのスポットだった――にたどり着いた白斗は、そこで横になっていた。 まだ昼間、それも正午過ぎの時間帯であるため日差しは強いものの、そんなものはいつも炎天下の下で『仕事』をさせられ続けていた彼にとっては、もはや友達のようなものだった。 先ほどの化学の教師が言っていた事など歩いて三歩で忘れた彼は、人気のない公園で夢の世界へと落ちていった。 悠が自分の教室へと戻ると、そこでは十数人ほどの生徒が作業をしていた。 床に広げた段ボールに色付きのマジックペンで何か絵を描く者、家庭科の裁縫セットを取り出し器用に布を縫い合わせている者、何やらノコギリで木材と格闘している者、そしてそれらには構わず教室の隅で何かおしゃべりをしている者、等々。 と。 「よー待ってたぜ津堂。あとちょいあればガワは完成しそーなんだわ」 言いつつ相手は、悠が手にしていた段ボールをすぐさま引ったくると、そこにガムテープをベタベタと貼り付けていった。 「時雨、これで足りそう?」 そう聞くと、タバコチョコを咥えたその女子生徒はポリポリと頭を掻いた。 「んー、段ボールは何とかってところだな。ところでペンキはまだ来ねーの?」 言いつつ、辺りを見回す。 「あれがねーと、看板も飾り付けも何も作れねーんだよな」 彼女の言う通り、光輝が買いに行ったペンキが届かないため一部の作業が止まってしまっているらしい。 「そろそろ戻ってくるはずだと思うけど」 言いつつ廊下を覗くと、ちょうど戻ってきたところらしきペンキ係が、別のクラスの生徒と話し込んでいるのが見えた。 「光輝、買ってきたのなら早く渡して。みんな待ちくたびれてるから」 「起きろ」 その言葉で、夢の中で雑草を引き抜いていた白斗は目を覚ました。 炎天下の中、原因はそれだけではない汗をぬぐう。 非現実的ながらも、やけに恐ろしい夢だった。 なにせ、引き抜くそばから雑草が自分から地面に埋まりに行くのだ。 やっとの思いで掘り出した、根っこが地面に絡みつくあの多年草は―― 「私の話を聞いているのかね、津堂」 「……おひゃようございます」 欠伸を噛み殺しながら、何とかそれだけの言葉を紡ぐ。 眠い目をこすると、そこに飛び込んできたのはあの女教師だった。 「文化祭準備中だから少し見逃してやろうかと思っていたが、昼寝とは随分と時間がありそうじゃないかね? 私が街中の見回りをしていたら……」 言いつつ、足をトントンと鳴らす。 「ともかく、レポートの1枚や2枚程度、ささっと終わるだろう?」 「意外とそうでもないです」 そう口にすると、相手は人差し指の甲を白斗の額に押し付けた。 「明日だ。明日中には出したまえ。何も宿題がない、すっきりした気分で文化祭を迎えたいだろう?」 それだけ言うなり、相手はスタスタと去っていった。 「やー、大量大量! 頑張った甲斐があったわねー!」 葵は上機嫌だった。 結局あの後、一時間ほどかけて商店街を回り続けた結果、当初の想定よりも大量の収穫があったのだから。 「余っちゃったらどうしよ? ま、あたしは優しいから他のクラスに分けてあげようかしら。一枚千円とかで」 荷台はおろか、座席にまで括りつけられた大量の段ボールの山を眺め、満足げにうなずいた葵は、自転車を押して学校までの道を歩く。 と。 『……葵』 「何よ?」 ふと何かを気にするかのように声を潜め背後をうかがう幽霊に、葵は首を傾げた。 『……尾けられてるぞ、お前』 「そんなにこの段ボール様が欲しいのかしら? いいわ。特別価格で、一枚九百円にマケといてあげようっと」 『……そうだといいんだがな』 それからクレアはようやく自身が他人に見えない事を思い出したのか、ゆっくりと振り向いた。 『一、二……複数のグループに別れて、合計十人はいるな。葵、なるべく人通りの多い道を通って、急いで学校まで……』 「♪〜」 幽霊の言葉など大して耳にも入らず、葵は学校までの近道である裏道へと歩みを進めた。 「よう。よくも調子に乗ってくれたなぁ……」 裏路地では鼻にティッシュを詰めた先ほどの『チワワ』が、手下らしき数人の生徒を連れ、自転車を押した葵の前方に立ち塞がっていた。 背後を振り返ると、そこでも数人の不良生徒が狭い道を横切るように並んでいた。 『……ほら見ろ、言わんこっちゃない』 頭に手を当ててため息をつく幽霊を気にせず、葵は叫んだ。 「……っ! アンタはさっきの……!」 「ああ、お前を女だと思ってナメたのが悪かった。だから……後悔するなよ?」 その言葉で、ニヤニヤとした笑みを浮かべた周囲の生徒たちが一斉に葵へと迫り始めた。 『狭い路地に、この人数。どうにかなるとは思うが面倒だな……』 ゆっくりと、しかし確実に迫る包囲網を見回しながら、クレアがつぶやいた。 『もしくはその自転車を置いて逃げるのが、一番確実かつ手軽な解決策だろうな』 「それはダメ! 文化祭の完全勝利とあたしのお小遣い稼ぎはどうなるのよ!?」 『……お前、たまには一度くらい痛い目を見た方がいいんじゃないかと思う時があってな。……いやまあ見捨てはしないが』 途端、例の不良生徒が一歩前に進み出た。 「何ゴチャゴチャ言ってやがる。もし今から土下座するなら――」 その言葉はそこで途切れ、土下座したら何が起きるのかは分からなかった。 「……お前たち、こんなところで何をしている」 いつの間にか『チワワ』の頭を掴んで近くの電柱に押し付けていたのは、心底面倒そうな視線を葵に向ける姿。 「あ、いいところに来たわね。ちょっと変なのに絡まれちゃって。段ボール少し分けてあげるから、どうにかしてくれない?」 紫苑は何かを言いたげに振り向いたが、すぐに身をかがめた。 その瞬間、直前まで彼の頭があった場所に鉄パイプがスイングされた。 「……まあいい。下がっていろ」 「ふぃー、こんなところだろ」 そろそろ日も陰り始めた頃合い、作業を終えた光輝は汗をぬぐった。 目の前に広がるのは、基礎を作り終わった段ボール製の壁と、ペンキで彩り豊かに塗りたくられた飾り付けと看板、そして何かの衣装らしき服だった。 「文化祭までまだ数日あるから、これだけ進めば上出来だと思う」 割り当て分の仕事を終えた悠も、どこか疲れたように吐き出した。 「うっし、じゃあ打ち上げ行こーぜ?」 そして全く疲労感など見せずに、新しいタバコチョコを口にする時雨。 「何の」 「準備が無事に終わったぜ打ち上げ?」 「おっし、いいなそれ。じゃあどこ行く?」 「オレのおススメでいいなら、駅前のとんかつうな重天丼専門店の『爆加露利胃(カロリー)』っていうところがあってだな」 「お、何それウマそうじゃん!」 「待って、私そんなの食べられない」 「ちなみに今は、超特盛を超えた爆特盛を一時間で食べ終えたら無料っていうキャンペーンとかもやっててよ、めっちゃおトクだぜ?」 「よし、じゃあそれだな。んじゃ、早速行くか!」 悠の意向を置いてきぼりで話が進む中、ふと辺りに二つのメロディが鳴り響いた。 「あん? どした?」 メロディは光輝と悠の携帯電話からそれぞれ流れてきており、その不協和音はすぐに途切れて消えた。 「えーと……げ」 光輝が取り出した携帯電話を時雨も覗き込む。 隣では悠も同じように自身の携帯電話を取り出し、特に感想も無さそうに――しかしながらどこかホッとしたように――眺めていた。 「くっそ、ねーちゃん今かよ……」 新着メール一件あり。 件名『お仕事のれんらーく』 本文『学校終わったら全員しゅーごー』 瞼の内側を紅色に焼く西日とポケットからの振動で、公園のベンチに寝転がっていた白斗は目を覚ました。 とてもいい目覚めだった。そう思い、口元に垂れたよだれを袖で拭った。 それからポケットに手を突っ込み、振動の発生源を取り出す。 メールが届いており、用件は自身が所属する便利屋組織の上司からの呼び出しであるらしかった。 それを確認した彼は伸びをしてから起き上がり、ゆっくりと歩き始めた。 ちょうどいい、段ボールの融通を頼んでみようと思いながら。 「いやー、ホント助かったわー! やっぱり持つべきものは言う事聞く暴力装置よねー!」 『チワワ』も含めた全ての不良生徒がその場に声もなく倒れ伏す中、ただ独り傷もなく立っていた紫苑に、駆け寄った葵が抱き着いた。 『……すまない、助かった。葵には後で私からしっかりと言っておく』 「ああ、そうしてくれ」 「あれ? ところでアンタはどうしてこんなところにいたのよ?」 彼は葵をうっとおしそうに引きはがすと、今しがた倒した生徒たちに視線を向けた。 「……ただの人探しだ。だが……少なくともこいつらではないようだな」 と、その時。 紫苑が無言で携帯電話を取り出し、そこに目を落とした。 葵も同じように自身の携帯電話を取り出すと、上司からのメールが届いていた。 「あら、何かしら?」 首を傾げながらも、戦利品を積んだ自転車を押して呼ばれた場所へ向かおうとすると。 「俺も向かう」 いつもは舌打ちしてどこかへ立ち去りそうな彼が、やけに素直に葵の後に続いた。 「あ、ごめん。今日資源ごみの日だから縛って全部捨てちゃった」 一番最初に職場にたどり着いた白斗が上司に余っている段ボールの存在を聞いたところ、返ってきた回答がそれだった。 「あれ、必要だった? ……あそっか、もうそんな時期か」 何かを察したのか、対面のテーブルで懐かしそうにうんうんとうなずく上司。 「文化祭っていいよねー。なんかこう、青春! って感じ?」 「ハハハ、昔を思い出しますね」 そしてそれに相槌を打つかのように笑いながらも上司の隣でコーヒーを口に運ぶ、神父服を着た男。 「段ボールを集める秋津さんは、それはそれは迷惑がられ、もとい恐れられたものでした。少しでも気を許すと他クラスの段ボールを根こそぎ強奪していくその姿は、リトルギャングと呼ばれ……」 その昔話に微妙に興味があるような気もしたが、ふとその時、背後の扉が開いて四人分の人影が入ってきた。 「あーくそ、せっかく打ち上げ行こうと思ったのに。ねーちゃん手短に終わらせてくれよ」 「ねぇ、ここに段ボール余ってない? 文化祭の王者になるために必要なの!」 ……。 他の無言のままの二人の姿を確認すると同時、秋津さんは手を叩いた。 「やー、みんな文化祭準備ご苦労様! で、ちょっとお願いがあるんだけど……」 「そこから先は、僕が話すっス」 その声がした方向を向くと、そこにはいつの間にか、カラカラと笑うサングラスで表情の読めない男の姿があった。 「葵ちゃんと悠ちゃん、宝石は好きっスか?」 クロードと呼ばれるその男は、少女二人に順に顔を近づけた。 「もちろんよ。なに、くれるの?」 「……別に」 二人それぞれの回答を聞いた相手は満足したようで、浮かべた笑みを一層濃くした。 「実はっスね、これからしばらく、もしかすると学校内に宝石が落ちてる事があるかもしれないんスよ」 その瞬間、葵がテーブルに身を乗り出した。 衝撃で石田の持っているカップが揺れ、中身の半分ほどが神父服を濡らした。 「え、って事は宝探し!?」 「そんな感じっスねぇ。ただ、もし見つけたら僕に渡して欲しいんスよ」 「……」 その言葉に、部屋の出入り口付近で腕を組んでいる紫苑が何かを言いたそうにしたが、クロードは気にせず続ける。 「その宝石はどうしてもあげられないんスけど、見つけてくれたら特別ボーナスが出るっス。ねぇ、秋津さん?」 「そそ。どーんって感じでいっぱいボーナスあげちゃう。もしくは、紫苑くんに何でも言う事を聞かせる権利とか、紫苑くんに肩叩きをさせる権利とか、紫苑くんに鼻から……」 後半部分が葵の心を捉えたのか定かではないが、彼女は鼻息荒く立ち上がった。 「いいじゃない、そのお仕事乗ってあげる!」 そしてその後に、満面の笑みの光輝が続く。 「どーんって感じのボーナス……。何が買えるんだろうな? 十円のガムで言うと何個だ?」 「いいわ。文化祭の王者と一緒に、特別ボーナスの皇帝も目指してやるわ。あたしは二兎を追って十兎を手に入れたいタイプなんですもの」 ハイタッチを交わすと同時、二人は連れ立って出ていった。 「……」 結局のところ話の肝心な部分を毎回のように上司が説明しないため、今回もまた厄介な事になるのだろうなと。 隣でいつの間にかコーヒーを飲んでいた悠を見つめつつ、白斗はそう思った。